燃える親子対談!

親子対談(砂子塾長 砂子義一氏)

2007年2月3日 プリンス東京新年会にて砂子義一氏と砂子塾長親子レーサーによる「燃える親子対談」の様子を採録しました。

冒頭は、1967年に日産自動車がヨーロッパでのレース活動を視野に入れたため、砂子義一氏が現地の視察に行った話からです。


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砂子義一(以下 義一):インレットとエキーゾーストを分けたのがすばらしいエンジンになっちゃって、それを持ってヨーロッパのニュルブルクリンクで僕が当時10分10何秒で走って。
砂子塾長(以下 塾長):R380もできて、ルマンの視察の時に*54CRを持っていて
義一:コースわからないから、林を見て走っていたの。で、走り終わったら、コースに立っていた連中が集まってきて、ドイツ語でワーって言われて。ベルギー日産の通訳のソニアという女の子が訳してくれた。
塾長:通訳だけ?ただの通訳の女の子の名前なんて覚えてないでしょう。普通。
義一:R380でルマンに出るなら、エアーフランスで(費用を)持つって言われて、スターティングマネーが300万!って、聞いてニターって笑って意気込んで帰ってきたら、ボツになっちゃった。
塾長:日産て、そういうとこあるよね。
義一:大石と黒澤が24時間テストして、横ちゃんがスピードトライアルをしていた。
塾長:それは1967年?第2回日本GPが1964年僕がその年の11月生まれ、日本GPが5月だったんで、そのちょい前にしこまれた。
会場から:血液型大丈夫?
義一:大丈夫!北野(元)にサーキットに連れて行って息子を見せたら、「間違いなくよっちゃんの子供だ!俺が証明する! 」と言われた。「ばーか、お前に証明されなくてもいいよ。間違いなく俺の子どもだ!」って、言ってやったよ。
塾長:今日もおやじはコーラ飲んでいるけど、1960年に始めてアメリカに行ってはじめてコーラを飲んだら、こんなにうまいものはないと思ったんだって。
義一:ロサンゼルスで、コーラとマクドナルドとケンタッキーを始めて食べてうまい!と思ってね。頭のいいやつはそれを日本に持ってこようとしたんだけどね。俺なんか凡才なんで、「あーうまいなー」で終わっちゃったの。
塾長:その時、持ってこようと思わなかったの?
義一:思わなかったねえ・・・。
塾長:それを持ってこれば、俺はこんな苦労しなくても良かったのに・・・。
義一:だったらお前もっとバカになってたんじゃないか。

    * * *

塾長:スカイライン50周年ですよ。DVD「スカイライン神話1」を見たけど、いい男だったね。

DVD>スカイライン神話 1 (<DVD>)

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義一:砂子さんって言ったらすごかったんだ。ゼニは持ってるわ、かっこいいわ、4輪にのっているわ、女の子が放って置かなかった。
塾長:今、地球温暖化って言われているけど、スカイラインスカイラインって騒げた時代を知っていて、良かったと思う。スカイライン誕生100周年の時はガソリンエンジンじゃないよね。50年後、あんな音を出してサーキットを走る車は無いと思う。非国民、非地球民になっちゃう。
義一:そうそう、非国民、非国民。
塾長:CO2を減らすことを考えていかないとモータースポーツがだめになっちゃう。モータースポーツを続けるためには、モータースポーツ人として、一人一人CO2を減らす、環境に良い事を心がける努力をしなければならないと思う。50年後にはレーシングドライバーはなくなると思うし、ガソリンエンジンは20年後にはなくなると思う。スカイライン生誕100周年はあるのかな?

    * * *

義一:日産の中川専務を村山工場で(1967年頃)R380をマスコミに公開して乗せてあげた。中川専務が隣に乗ってくれて、何周かしたら、「初めてドライバーにお金払っている意味がわかった」って言ってくれた。「ありがとうございます!よろしくおねがいします!」って言ったけど、契約金は上がらなかった(笑)
塾長:昔は危なかったからねえ。
義一:プリンスはスカイラインで特攻をやらせたわけだからね。
塾長:桜井(真一郎)さんは安全安心に気を使ったんですよね。
義一:380なんて安全なんて、気を使ってなかったよね。シートの脇がガソリンタンクだったわけだったから。
塾長:一緒に戦ったポルシェ906は・・・。
義一:そんなの知らねえ。
塾長:知らねえって、ポルシェも同じだったんですよね。
義一:ステアリングだって斜めになっているわけだから。
塾長:ステアリングシャフトがこんなに細いの。ステアリングが斜めになっていて、ステアするだけでねじれ剛性が足りねえなっていう感じ。怖いなーって。ストレート200km/hでダウンフォースを失って、ふわーって軽くなってきちゃう。
会場から:ドライバーが良かったから。
塾長:その割にはこれ(ギャラが)少なかったって文句言っていた。俺、十分もらっていると思うけど、全部使ってたんじゃないの?
義一:お金っていうのは使って値打ちがある。
塾長:それが流通って言うか、個人消費が上がんないと景気は良くなんないけどさ、ギャンブル?
義一:ギャンブルなんて大嫌い。
塾長:銀座?
義一:銀座じゃないの。女の子。レースの時に。グアーって。よーし、あの子にハンドバッグ買ってあげようと思ってそれで頑張って走っていた。
塾長:俺、そのハンドバッグあげた人に会いたい。返して、ハンドバッグって。
義一:そりゃあ、やったもんは返してもらえない。女の子に騙されていくら、が、値打ちがあるんだ。
塾長:良かったねえ、生きてて。
義一:俺は怖いもん知らずで通っているじゃん。ストレスなんてあんまりない。
塾長:なさそうに見えるよ。
義一:でも砂子商事やっていた時はストレスで、胃潰瘍で2回血を吐いていた。
塾長:へえー。慣れない事、ビジネスとかするとストレスたまる・・・ビジネスのこと考えると、だめなんだ。レーシングカーに乗って、ハンドバッグのことだけ考えておけばストレスたまんないんだ。
義一:俺だって、レーシングドライバーなんていつまでもやれるもんじゃない。終わった時にゼニが入る方法を考えたんだ。
塾長:星野一義さんが言ってたんだけど、(日産ワークス時代に)村山工場にいたときに、「砂子さんが掃除のおばちゃんに声をかけている。『何やってるんですか?そこまで手エ出すんですか?』って聞いたら、砂子さんが『今こういうビジネスをはじめたんだ』って言っていて、ええーほんとにって驚いて、砂子さんでもそういうこと考えなくちゃならないんだ、ドライバーでいるときからビジネスをはじめなくちゃならないんだ、それでINPULを立ち上げた」っていう話を延々と語っていた。
義一:じゃあ、星野これから年間100万寄越せって(笑)。

会場から:義一氏の健康の秘訣は。
塾長:何も考えていないことですか。
義一:食いたい物食ってりゃ健康なの。あれがいかん、これがいかんって言っているやつが僕より先に逝っている。僕は医者が嫌いで医者に行かない。やりたい放題と、女の子。男である限り、女性に興味を失ったら終わり。


塾長:当時のワークスの横山さんも大石さんも、それから滝進太郎さんも亡くなられて・・・。
義一:ヤマハの(当時の)ライダーで生きているのは俺だけだから大事にしてもらっている。生きているが故にスカイラインのこういった席によばれるし。
塾長:砂子義一一生誕100周年をそのうち・・。
義一:スカイラインの乗ったおかげで、みなさんによくしていただいている。本当にありがとうございますって言いたいわけよ。
塾長:スカイラインが表紙って言うだけで自動車雑誌が2倍のびるんですよね。砂子義一を表紙にすると何倍ですか?
雑誌者の人:3倍です(笑)

塾長:ミニバンばっかりつくっていたら日本がダメになる。男だったら速い車に乗りたいと思わせるような、車をつくらなくちゃ。今、若者がマニュアル免許を取らない時代ですよ。
義一:メーカーで電車が便利だなあって、思わないようないい車をつくんなきゃ。
塾長:日曜日に乗りたいって思わせる車を作らなきゃ。去年の秋にアメリカでインフィニティに乗っていたら、日本以上に注目される。ブランドイメージがとってもいいみたい。
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客:今後のレース活動は?
塾長:義一にじゃないでしょ。
義一:スポンサーさえあれば…。
塾長:やめたほうがいいって!
義一:この間ニスモフェスティバルでR380走ったとき、あんなんじゃ金出さないって言われたけど、タダだから走んないの。
塾長:ストレートも踏んじゃいない。R380のホイールとかメンテナンスができていなくて危険。なんとかできないの?ストレートでパキーンと割れちゃったら。


塾長:スーパー耐久は乗ると思うんですけれども、・・・今年のレースはGTに乗る話がここ数週間で。2008年はGTRでレースをやりたいですね。どうですか「日産プリンス東京フジツボGTR」ていうのは?
36GTRでポルシェを負かしてみなさい。そんなかっこいいことない。監督は上村さんで。
それは、みなさん喜んでくれますよ。

会場から:昨年のニスモフェスティバルでR383に乗りましたか?
塾長:乗っていないけど、乗った長谷見さんから聞いた話では、R383を富士のストレートで走ったらカウルがあたちゃって、あんまりスピードが出せない状態だったらしいです。

会場から:お父様、当時の現役ドライバーの契約金は?

義一:一番最初にヤマハに100万って言ったら、びっくりされて、それはできないって言われて、日本楽器(ヤマハ楽器)の総務課長に棒グラフをみせられて、「君が、定年のころにはこれだけになりますから大丈夫」って説明されたけど、今日、ホーってなっちゃったら俺いなくなっちゃう、明日がないわけだから、今くれないと困る、って言ってもらったわけ。
塾長:初任給が大卒で1万円だったころ?(昭和31年)2000万くらい?
義一:当時ヨーロッパに行って、スターティングマネーが初めて出るってわかった。
スタートに立つだけで200ドル(72,000円)。
社員ドライバーの(高橋)国光さん、北野(元)は社員ドライバーだったから、スターティングマネーを知らないわけ。会社でとっていたみたい。ペタンコペタンコと(アブソーバーなどの部品メーカーのステッカーを)貼るとそれをヤマハからちゃんとお金をくれる。俺は、全部もらっていた。ヤマハの社員ドライバーの長谷川ちょうさんは社員だから、賞金も、スターティングマネーもらえなかった。
俺が勝てなかった、伊藤(史朗)と二人でシンガポールとか、ジョホールバルのレースで賞金が1位150万円2位50万円だから、ニターっとして出かけていったんだ。
塾長:当時の150万て・・・それが全部ハンドバックだ。どれだけ買えたんだ。
義一:そればっかりじゃないよ。向こうに行ったら、モーテル代やらなんやらでかかるから。

会場から:今度、走行会は塾長長の代わりに義一さんの同乗走行でお願いします。
塾長:ほんとにやめたほうがいいって
義一:ゼニ次第だから!お金っていうのはね、働いたらもらうのが当たり前!みんな欲しいわけだから、黙っているのがおかしい。たのみますよ!
塾長:危険だから乗らないほうが良いって
義一:だから、冗談だよ。乗るって顔して乗らないのがいいんだよ。